【ADlab(アドラボ)】写真編vol.1 写真の歴史と技術について 19世紀まで
広告と写真は切っても切り離せない関係にあります。
クリエイティブを知るためには写真の知識は不可欠となります。
また弊社のお仕事でも写真撮影のお仕事は多岐に渡りございまして、
得意分野となっておりますので、ここで改めて写真についてその歴史から、仕組み、表現方法についてお伝えをして写真についての知識を共有させて頂きたいと考えておりますのでどうぞよろしくお願いいたします。
写真の歴史
写真は絵画や彫刻と違って、西洋と東洋において、のような著しい差はございません。その理由は、現在の意味における写真の始まりが19世紀であり、その歴史が短いためです。
また日本の場合には、写真はまさに「輸入」した表現手段で、西洋の写真の「まね」から始まりました
なお、現在の意味における「写真」の前史として、カメラ・オブスクラや影絵等を挙げる考え方もあります。
今回はカメラが大きな進歩を遂げた、19世紀の「カメラ・オブスクラ」をフィーチャーしてカメラの歴史の皮切りにしたいと思います。
カメラ・オブスクラ
カメラ・オブスクラ(ラテン語: camera obscura、「暗い部屋」の意味。カメラ・オブスキュラ、カメラ・オブスクーラとも)は、写真の原理による投影像を得る装置で、実用的な用途としてはもっぱら素描などのために使われました。
写真術の歴史においても重要で、写真機を「カメラ」と呼ぶのはカメラ・オブスクラに由来しています。
最初に「カメラ・オブスクラ」という言葉を用いたのはヨハネス・ケプラーとされいます。
写真が発明される19世紀以前にも、光を平面に投影する試みは行われていました。
画家達は、16世紀頃には立体の風景を平面に投影するために、カメラ・オブスクラ(「暗い部屋」の意)やカメラ・ルシダと呼ばれる装置を用い、その中に投影された像をトレースすることで、実景に似た絵画を描きました。
この初期のカメラは像を単に壁にある開口部を通して、暗くした部屋の壁に像を投影するだけで、化学的にその像を固定する技術はまだありませんでした。そこで、部屋を「大きなピンホールカメラにしたもの」で、人手でトレースする以外の方法でその像を残すことはできませんでした。
やがてカメラ・オブスクラは小型化して持ち運びのできる装置となり、ついにはレンズや鏡を備えた小さな箱となりました。
これがカメラの始まりと言っても過言ではありません。
18世紀には、銀とチョークの混合物に光を当てると黒くなるというヨハン・ハインリヒ・シュルツェによる1724年の発見をはじめとして塩化銀やハロゲン化銀など銀化合物の一部は感光すると色が変わることが知られており、遊戯などに用いられていたものの、これとカメラ・オブスクラなどを組み合わせるという発想は当時はありませんでした。
カメラ・オブスクラの映像と感光剤とを組み合わせ、映像を定着させる写真技術の発明は、19世紀初めにほぼ同時に複数なされました。
現代の写真処理は、1840年から最初の20年の一連の改良が基底である。ニセフォール・ニエプスによる最初の写真の後、1839年にはダゲレオタイプが発表され、直後にカロタイプも発表された。写真の普及は肖像写真の流行、1850年代の湿式コロジオン法の発明、1871年のゼラチン乾板の発明へと続きます。
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