ULPLUSの広告を理解するためのコラムADlab(アドラボ) 印刷編vol.7
総括として印刷機の歴史
印刷編のvol.6まででほぼ印刷の歴史と技術のお話を行いました。
今回は総括として印刷機の歴史を振り返ってみたいと思います。
まずは金細工職人のヨハネス・グーテンベルクの功績が大きかったことは周知の通りです。
彼は既存の技術を印刷目的に適合させた独自の発明し1439年頃に活版印刷システムを開発しました。
東アジアでの印刷は唐代以降に普及しており、ヨーロッパでは14世紀までに既存のスクリュープレスに基づく木版印刷が一般的となりました。
グーテンベルクの最も重要な技術革新は、手鋳込みされた金属製の印刷母型の開発です。彼の新たに考案したハンドモールド(活字鋳造用の小さな割り鋳型の道具)は、精密かつ迅速な可動式金属活字の大量製作を可能にしました。
ヨーロッパではまだ可動式活字が知られていなかったので、ハンドモールドと印刷機の2つの発明が一体となって、特に短期間の印刷稼働で書籍や文書を印刷することがコスト面においても可能になりました。
印刷機は数十年経たぬうちにヨーロッパ12カ国200以上の都市に普及しました。
1500年までに、西ヨーロッパ全域で稼働している印刷機は既に2000万冊を超える量を生産。16世紀には印刷機がさらに遠くに広がり、その生産量は10倍に増えて推定1億5000万-2億部数もの文書が刷られました。
印刷機の操業は印刷企業と同義語となり、新たな表現および情報伝達を行う印刷機を使ったメディアに「プレス」という名称が与えられました。
ルネサンス期のヨーロッパでは、可動式活字の印刷機械の到来がマスコミュニケーションの時代をもたらし、それは社会構造を恒久的に変容させた大きな要因になりました。
情報および(革命的な)アイデアの比較的垣根がない流通は国境を超えて、宗教改革では大衆を魅了し、政治的権威および宗教的権威の力を脅かしました。
識字率の急上昇は教育と学習における学識エリートの独占を破り、新たな中流階級を強化しました。 ヨーロッパ全域で、民族の文化的自己認識の増大が原始ナショナリズムの台頭をもたらし、ヨーロッパの各自国語の発達によってラテン語のリンガ・フランカ(共通語)としての地位喪失が加速していった。
19世紀に、手動のグーテンベルク型印刷機を蒸気機関の輪転機に置き換えたことで、産業規模での印刷が可能になりました。
まとめ
このように印刷技術の向上、印刷機の普及が人間の知識や思想の伝播に大きな影響を及ぼしました。
私たちが携わる広告も、この印刷が原点と言って過言ではございません。
そういう意味もあり、このADLabは印刷のことからそのシリーズを始めることにいたしました。
印刷のことは今回で一旦終了いたしまして、次回からは、写真の発展や技術についてお伝えしたいと思います。